短編『夜10時半のポテトサラダ』

男は携帯を見ながら帰り道を歩いていた。


反対側の道路では、交通誘導員の中年男性がぐずぐずと赤い棒を振っている。


男はスーパーにでも寄って帰ろうと考えながら歩く。


その歩く自分の左足が次に地面に着いた時、男は違和感を覚えた。


着地した時の音が「コツ」ではなく「ふにゃり」だったからである。


男は慌てて携帯から地面へと目を向けた。


なにか白いかたまりが男の左足の周辺にペタペタと落ちていた。


吐瀉物か。


男は嫌な顔をした。


男は足元を覗き込んでみた。


見ると、白いかたまりは、吐瀉物ではなかった。


それは、ポテトサラダであった。


なんの容器にも入っていない、剥き出しのポテトサラダであった。


男は妙に納得した。


左足で踏んだ「ふにゃり」の中に微かに、初雪に足を乗せた時のような「さくり」とした感触があったからである。


きっとほんの少しだけ芯が残った状態でペースト状に潰されたじゃがいもだから、微かな「さくり」を感じたのだ、と男は思った。


そう思ったあとで、男は自分が得体の知れないポテトサラダを踏んでしまった不運の念をようやく感じたのであった。


男は植え込みの角で靴の裏をこすり、ポテトサラダをこそぎ落とし、再び歩き始めた。


反対側の道路では、交通誘導員の中年男性がぐずぐずと赤い棒を振っている。


男は帰り道から少し外れ、スーパーに立ち寄った。


このスーパーは夜の11時まで営業をしている、彼のような帰りが遅くなる民に優しいスーパーである。


惣菜コーナーの片隅には、10パックほどのポテトサラダが並んでいた。


揃って「表示価格より40%引き」とシールが貼られている。


男は40%引きという中途半端な割引額に少々疑念を感じながらも、タイムリーなポテトサラダの出現につい目を止めてしまった。


そして、無性にポテトサラダが食べたい口になっていた。


男は、ポテトサラダを踏んでしまったという40%ほどのマイナスの出来事を、この40%引きのポテトサラダを買うことによって相殺しようとしているのかもしれない、と自分で小さく笑った。


男が小さく笑った顔のままレジにやって来たので、レジ店員の女性はそれを見て不思議そうな表情を浮かべたのであった。


男はそれには気づかず、会計を済ませて店を出る。


男が見上げた夜の空に浮かぶ雲は、ポテトサラダであった。


今夜ばかりはポテトサラダなのであった。


反対側の道路の交通誘導員の中年男性はもう、赤い棒を振ることをやめていた。

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