主観、客観、良い時間。
人との距離の縮め方を考えてしまうと、自分が客観的にその様を見ることになるので、自意識が邪魔してしまう時がある。
「あなたは、あなたの周りのそこそこ仲良しの人からは多分こういう風に見られてているけれど、僕はそれよりももう少しあなたと仲良しなので、こういう風に見ているよ」みたいなことを言って、他の人とは違うよアピールをしてしまう時がある。
そして、そんな感じの接し方をしながら、同時進行で「ああ、自分こういう風に距離を縮めようとしてるなあ」と考えたりもするのである。
「「距離詰めようとしてきてるな」と思われてないかな」とも考える。
そうなってくると、自分の中に何人も自分がいて、どれがどれだか分からなくなってしまうような感じになりそうなものなのだが、意外と分からなくはならない。
…ならないんかい。
その人が、他の人には言っていない話を聞けたりすると、少し嬉しくなる。
それがたとえその人のダメな部分の話や、悲しい話や、黒い話だったとしても、「お、このコミュニティではそれ知れたの僕が初じゃん」などと少し嬉しくなっているのである。
むしろ、ダメな話の方が人間味を感じられて嬉しくなるような気もする。
ただ、一番良いのは、「今こういう話されてるな」とか、「僕はこういう風に距離を縮めようとしてるな」とか客観的に見る自分がいなくなれている状況だ。
楽しい時とか、夢中で話を聞いている時、話をしている時とかは、そんなあれこれは考えていないわけで。
結局、夢中になっている時間が一番楽しいのはそういうことだろうと思う。
まあ、「夢中になっていたな」と思う時というのは、夢中になり終えて一息ついている時だろうから、その時間も楽しいけれど。
打席に立ってホームランを打っていたその時間と、ヒーローインタビューでそれを自分で振り返りながら喋る時間、みたいな。
今のこの5行くらいは、夢中になって書いていたので、話の方向がよく分からないことになってきたのに気づけなかった。
夢中になり終えたので、よく分からなくなってきたタイミングで終わろう。
この辺で擱筆。
写真は「お地蔵様、左折。」
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