言葉について

言葉について
前回、散々オリジナリティーのことを書いたのちの今回、
引用が多めの文章になるとはこれいかに、
と思いながらも、
今回は、言葉の話。


広辞苑が10年ぶりに改訂された。
総項目数は、約25万語だ。

もちろん言葉は組み合わせて使うから、生み出される言葉の連なりは無限大だ。

語彙が少ないと、生み出せるものが少なくなる。
柔らかな発想がなくても狭まる。



今回は、僕が、
この人の言葉の連なりはおもしろいなあ、
と思う例を2つ挙げてみる。


「‥いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。

素敵に灼きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、

鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶずつ数えられたのです。‥」

宮沢賢治『インドラの網』の一節。

これに限らずどの作品にも見られるけれど(しかしこの作品はその中でも指折り)、
宮沢賢治の情景描写は見事に読者を惹きつける。
情景なのに、手触りみたいなものまで感じられる。



「町はへんてこ   おるごおる 
巨きな団地をふるわせて
ぼくらのすてきなみかん箱 
鏡の割れた宝石箱
ぼくらの眠る時刻いつのまにか過ぎてる
きっとぜんまい巻きのアルバイト達足りないよ」

4人組バンド「たま」の『金魚鉢』(作詞は知久寿焼)の一節。

少し悲しくて、
少し懐かしくて、
少し怖くて、みたいな。

物置き部屋の古いがらくたとか、
黄昏時の帰り道とか、
ちっちゃいサーカスとか。

何とも言えないものが浮かんでくる気分。


言葉はみんなに平等に与えられているから、それをいかに使えるかは、人次第。

形から入ってもいいから、
そういう表現を模索してみるのは、おもしろい。


次回は、その探し方を考えてみる。


一旦おしまい。

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