コタツ1つのアパートで

脚本を書いている。
書き進めていくうちに、今回は自分のダメな部分に重なるところも多いお話になってきて、少し凹んだ気持ちになる。

奮起のために、久々に見ようと思いTSUTAYAで『火花』を借りた。
最近は、セルフレジが設置されている。
人間の出番が少なくなっていくなあ。
店員さんは、返却しに来た人に「ご返却ありがとうございます」と言っている。
それは確かに大事だ。
僕も店を出ようとする。
何も声がかからない。
借りていく人には何も言わないんかい。

家で見た。
最後のシーン、半ば自分から、神谷のセリフに励まされにいく。

「漫才はな、1人では出来へんねん。2人以上じゃないと出来へんねん。でもな、俺は2人だけでも出来へんと思ってんねん。もし世界に漫才師が自分だけやったらこんなにも頑張ったかなあって思う時があんねん。周りにすごい奴らがいっぱいおったから、そいつらのやってないこととか、そいつらの続きとかを俺らは考えてこれたわけやん。ほんならもう共同作業みたいなもんやで。同世代で売れんのは一握りかもしれん。でも、周りと比較されて、独自のもん生み出したり、まあ淘汰されたりするわけやん。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だからオモロいねん。でもな、淘汰された奴らの存在って絶対無駄じゃないねん。まあやらん方が良かったって思う奴もいてるかもしれんけど。じゃあ、例えば、優勝したコンビ以外はやらん方が良かったんか言うたら、絶対そんなことないやん。1組だけしかおらんかったら絶対そんなオモロくなってないと思うで。だから1回でも舞台に立った奴は、絶対に必要やって。絶っ対に全員必要やって。だからこれからも全ての漫才に俺らは関わってんねん。つまり何をやってても、芸人に引退はないねん」
(映画『火花』(2017年)より)

僕には天性の才能があるわけではない。
あったらもうどこかしらで名を馳せてでもいるだろう。
舞台やテレビを見て、ああ、こんな面白いアイディアがあったのか、とか、先にやられてしまったなあ、とか、日々思う。
でも、何とか自分にしか生み出せないものを生み出そうと悪戦苦闘しているわけで。
それが演劇になるのかお笑いになるのか別の発表形態になるのかは分からないけれど、でも、続けてやるぞ、という気概だけはずっと持ち続けていたい。
どうしよう、数ヶ月後に全く違うことを言っていたら。

僕の界隈で、演劇とかお笑いとかをやって、舞台に立ったり舞台を作ったりしている/していた人は、その楽しさや誇りを忘れずにいて欲しいなあと思う。
先輩も同級生も、卒業のタイミングで一回離れる人が多い。
でも、僕も神谷に同じく、アイツはやめちゃったからもうダメだ、とは思わないようにしている(一時期はそんな風に思ってしまう時もあったけれど)。
なので、いつかまた同じ舞台で一緒になる日が来たりしたらいい。
面白い人いっぱいいるもんなあ。

映画を見る限り、残念ながら神谷はこの先も売れそうにはない。
いや、もしかしてもしかしたら何かがハネてブレイクの日が来るかもしれないけれど。
僕も、いつまでも低空飛行している可能性は大いにある。
でも、飛び続けている人にしか高いところへ上がっていけるチャンスはないわけで。
キョクアジサシぐらい長く飛んでいよう。

らしくない熱いことばかり書いてしまった。
最後の1文だけ、らしいか。
あまり表に出ないから冷めた奴だと思われがちな僕である。
熱いところもあるんやで。

そんなこと言ってる場合じゃない。
…早く執筆に戻らねば。

この辺で擱筆。
写真は「きっと今日は誰にも座られなかったベンチ」

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